2011年11月13日日曜日

モン族

ディスクユニオンで偶然見つけた盤。
VIÊT-NAM Musiques et chants des Hmong

ルーマニア人の民俗音楽学者Constantin Brailouがスイスに設立したフィールド・レコーディング音源のアーカイブ機関であるAIMPが所有するベトナム少数民族=モン族のフィールド録音。その音楽は、独奏を中心とする非常にシンプルな演奏なのだが、仏教に影響を受けつつも独自の祖先崇拝/精霊信仰が生み出したもので、ジャケットにあるような草笛を始めとする奇妙な楽器を使った器楽や呪文のような声楽の音色は、他の民族音楽でも滅多に味わえない霊的なヤバさがある。

モン族はそもそも、紀元前3千年前の中国の四川省を起源とする民族で、その多くが中国の同化政策や太平天国の乱の粛清時にアジア各地に入植したと言われている。ベトナムには約300年前から住み始めたらしいが、音楽的には中国の影響がやはり大きいように聴こえた(一般的にベトナムは東南アジアの一部とみなされているが、文化としては東アジア圏)。

そして、モン族は今もベトナム以外の国にも多く住んでいるのだが、実は、ここにモン族の歴史が隠されている。

世界民族博覧会<モン族>
 中国  :738万3千622人 (1990年:中国少数民族事典)
 ベトナム:約55万8千053人(1989年:推定)
 ラオス :約31万5千465人(1995年:推定)
 フランス:約 1万2千人 (1987年:推定)
 ビルマ :約 1万人   (1987年:推定)
 カナダ :約 1千人弱 (推定)
 アメリカ: 20万人以上 (推定)

なぜ北米アメリカに20万人も住んでいるのか?
そこには、ベトナム戦争とアメリカ合衆国CIAの秘密工作に翻弄されたラオス山岳に住むモン族の悲劇があった。

(以下、引用)「ベトナム戦争中、当時の北ベトナムが、南ベトナムで戦う解放民族戦線に物資を輸送したルートが所謂ホー・チ・ミン・ルートである。米国はラオス国内を走るそのホー・チ・ミン・ルートをたたくため、山岳地帯を機敏に動くラオスに住むモン族の機動力に目をつけ、高い報酬でモン族を雇った。1961年、ラオス北部に米軍基地がつくられ密かにモン特殊部隊が組織された。そしてモン特殊部隊はアメリカ軍の先兵として北ベトナム軍やラオス愛国戦線(パテト・ラオ)と戦うことになった。しかも敵方の北ベトナム軍やラオス愛国戦線の中にもモン族が居たため、同族同士が殺し合う悲劇ともなった。アメリカ側の戦況が悪化してアメリカ軍の撤退が始まると、アメリカ軍はモン特殊部隊を見捨てた。その結果北ベトナム軍の報復攻撃も含め合計20万人ものモン族が戦死したと言う。アメリカ軍のベトナム戦争による戦死者はモン族の1/4の5万8千人である。もしモン特殊部隊が居なかったらアメリカ軍の犠牲は相当数増えた筈である。なおベトナム戦争におけるベトナム人の死者は200万人を超えたと書かれている。しかも米軍はラオスのホー・チ・ミン・ルート沿いに250~300万トンの爆弾を投下し、その内の20万トンが不発弾となり現在も住民の生活を脅かしている。この不発弾が完全に撤去されるには数百年かかると言う。戦争が終わってからもモン族の悲劇は続いた。北ベトナム軍やラオス愛国戦線と戦ったモン族は帰る地がなくなり、タイに難民キャンプが作られ30万人ほどのモン族が一時そこで暮らした。現在ではこの難民キャンプは閉鎖されたが、一部のモン族(10数万人)がアメリカに渡ったと言う。アメリカに渡ったモン族がアメリカ社会で幸せに暮らしているかどうか記述はないが、彼らが長く続けてきた伝統文化を守って生活しているとは思えない。このような記述は別の面からの反論もあろうが、強大な国のエゴが少数民族を犠牲にした一つの例とみなせると思う。映画『地獄の黙示録』は実話でなく創作ではあるが、アメリカがアジアを見る一つの歪められた視点を垣間見るようだ。」(「モン族の悲劇」)

アメリカ合衆国の反共産主義戦争に利用された挙句に置き去りにされ、祖国ラオスからは裏切り者と迫害され、捨てられた恨みを持つ国に亡命して行ったモン族の人々の哀しみは計り知れるものではない。移住した合衆国でも悲しい差別が続いている(「米中北部のウィスコンシン州の森の中で、鹿狩りに来ていたラオスの山岳少数民族モン族の出身の男性が、口論の末、白人ハンターの男女6人を殺害」日刊ベリタ)。映画『グラントリノ』のモン族の人々を思い出してほしい。クリント・イーストウッドがベトナム戦争後のモン族と合衆国の歴史に意識的だったのは間違いない。2004年にはイラク戦争でモン族の米軍兵士の最初の死者が出た。米軍に加われば市民権を得やすくなるという理由で、多くのモン族の青年がイラク戦争に参加したのだという。それはまるで、ベトナム戦争に多くの黒人青年が駆り立てられた合衆国の歴史の焼き直しにすら思える。

「30年目の戦後処理:アメリカと共に戦った民族」/THE MOST SECRET PLACE ON EARTH - CIA'S COVERT WAR IN LAOS

このドキュメンタリーでは、ベトナム戦争でモン族を置き去りにした実働部隊の少佐のトラウマをモン族の祈祷師が取り除くことになるのだが、4時間以上も続いたという祈祷師の祈りの歌が素晴らしい。そこから安直な癒しを得る少佐の言葉には怒りすら覚えるが、あまりにも哀しく優しい赦しの歌声には心が洗われるようだ。

モン族のその神秘的な歌声に民族の悲劇性を感じてしまうのは悪しき感情移入だと思う。でも、正史といわれる欧米中心の歴史の裏側にある民族の声に耳を傾け、辺境といわれる音楽の偽史をこれからも聴き続けたいと心底思った。

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米国のモン族の若者が直面する暗い歴史

hmong veterans of the cia's secret warラオス山中には、今も当局から逃亡を続けているモン族がいる...。

▼北米に住むモン族のラップ。新しいカルチャーも生まれてる。
TSIS MLOOG ZOO by JiNN Thao

町山智浩による『グラン・トリノ』ポイント解説(『映画秘宝』2009年6月)完璧な論旨。必読。

▼MA GUO GUO plays the Chinese Jew's Harp Kou Xian
Jew's Harpとは口琴(こうきん)と呼ばれる楽器で、モン族のフィールド・レコーディングでも使われてたんだけど、この中国人の演奏もかなり狂ってる。

ツイッターで白石隆之さんがツイートされてたアイヌの民族楽器ムックリの演奏に最近衝撃を受けたんだけど、両者の音が実はかなり繋がってる。

アイヌの歴史は日本との関係性において語られることが多いけど、実際は、モンゴル帝国~清朝は、アムール川下流域で朝貢交易を行い、アイヌなどサハリンの先住民とも接触を持っていたらしい。なるほど。

All sound recordings below were made in Saigon before 4/30/1975 Ciao! Bella
ベトナム戦争中の南ベトナムの70年代カルチャーを伝えるポップス・ポッドキャスト。すべてサイゴン(現ホーチミン)で録音されたものらしく、500曲以上の膨大な記録(すべてダウンロード可能)。中国の影響だけでなく、ベトナム戦争期にもたらされたアメリカン・ポップカルチャーの影響が入り混じってる。

フランソワ・ジューファのベトナム・フィールド録音も聴いてみたいな~。

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