2011年11月24日木曜日

Prehistoricos

スペイン語で"有史以前"という大それた名前を持つ南米チリのバンドPrehistoricos。毎夜、日課のようにやってるネットディギンの際に偶然見つけたんだけど、そのメロディメイカーとしての才能、そしてボーカルの天声の歌声に思わず耳と心を奪われた。


(音盤はまだ出してないが、このサイトで『Orquesta Oculta』というフリーダウンロードアルバムを発表している)

そのメロディの断片と歌い回しが耳に入ってきた瞬間に、次から次へと有史以降のSSWの名前が頭をぐるぐる回り続ける。ニルソン、トニー・コジネク、ジョニ・ミッチェル、ランディ・ニューマン、アル・クーパー、ニッキー・ホプキンス...。現地では「チリのシガーロス」なんて言われているみたいだけど、個人的には同郷チリ伝説のアシッドフォーク・バンド=コングレガシオン(CONGREGACION)のことを思い出した。

Congregacion - Estrecha a tu hermano


チェット・ベイカーのようにヘナヘナな発声法と叙情的な声質、アコースティックギターのアルペジオを中心としながら鳥の鳴き声のようなフィールド録音が混ざり合ってくる幽玄な風景。PrehistoricosにはCONGREGACIONのようなチリの民族音楽フォルクローレの要素は皆無だが、音に対する意識(耳の良さと言っていいのかもしれない)には共通するものが感じられる。今年、ボーカルであるアントニオ・スミス(ANTONIO SMITH)のソロ2作がひっそりとBRANCOレーベルから本人公認で正規再発されてるんだけど、これは本当に最高だった。間違いなく今年のリイシューものの中で最高峰なんじゃないかな。

それにしても、チリというのは南米の中でも不思議な国だ。多くの日本人にとっては「あー、マルシアの生まれ故郷ね笑」程度のイメージなのかもしれない(?)が、Prehistoricosにしても、CONGREGACIONにしても、他の南米諸国にはない異質な音楽性を感じる。超ざっくりと誤解を恐れずにいえば、中南米文化は①現地インディオ②欧州帝国(スペイン・ポルトガル中心)移民③黒人アフリカ奴隷移民④北米=合衆国移民のそれぞれが国(更に地域によっても違うが)によって微妙なバランスの違いで混ざり合ってる。カルチャーを産み出す人種の出自がそもそもミクスチャーなのだ。

たとえばチリは、リカルド・ヴィラロボスやカデンツァのルチアーノなど南米民族音楽や現代音楽を昇華したクリックハウス/ミニマルの震源地でもある。Prehistoricosの音楽から感じるテクニカルな質感はそういう音楽ともシンクロしているのかもと思ったりするんだけど、その電子音楽というかテクノに対するチリの親和性には、欧州ドイツとの歴史が大きく関わっている。

チリも他の南米諸国と同じく16世紀にスペイン侵略と共に多くスペイン人が入植しているが、アルゼンチン、ウルグアイと並んで「南米の白人国家」だと言われている。南米の中でも比較的南部の国に白人系が多いのはその気候風土が欧州に近かったからだ。その後、19世紀後半から20世紀初頭にかけてイタリア系移民が大量に流入、時を同じくしてドイツ人移民も南部に多数入り込んだ。そのドイツ系移民が南部のバルディビアからプエルトモンあたりまでの広大な森林地帯を開拓していったのだという。自らで土地を切り開き土着化したドイツ系移民への尊敬の念のような意識がチリ人の中には今でも残っているのかもしれない。現在チリには約20万人のドイツ系がいるといわれるが、その多くは今も南部に住んでいるという。この南部にはナチスの残党が作ったドイツ人コロニー「コロニア・ディグニダッド」という恐ろしい場所もあるんだけど、それはまた別の話(気になる方は⇒南米チリに築かれた“ドイツ人帝国”の実態~ 暴かれた南米チリのドイツ人コロニー ~)。よくある眉唾話で「ヒトラーが南米で生きている?!」みたいなのがあるけど、このコロニア・ディグニダッドの存在が発端になったんだろう。‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
独自の深化というか普遍化を続けている南米チリ関連のヤバい音源をまとめて。

Pascuala Ilabaca - Lamenta la canela

チリの女性アコーディオン奏者。アルゼンチンのディエゴ・スチッシやカルロス・アギーレのように現代音楽を更新するネオクラシカルな音楽。ホントにすばらしい。

Ricardo Villalobos/ Max Loderbauer - Reannounce

ヴィラロボスがECMの音源をリイノベーションしたアルバムから。今年、数十回聴いたけど、シャックルトンも真っ青のスカルディスコ。暗闇に目を凝らし、沈黙に耳を傾けるとアッチ側です。

Argenis Brito and Miguel Toro - Black Shoes

Argenis Britoは元々ヴェネズエラのカラバス生れなんだけど、チリに移住してからはルチアーノのカデンツァから音源を出したり、チリ人のPier BucciとMambotur名義でのプロジェクトをやったりしている。これはドイツのMobileeレーベルからのシングルなんだけど、とにかくこのリズム、糞ヤバすぎるだろ。

Alejandro Mosso - Altiplano

南米シャーマニズムを飲み込んだアルゼンチン生れのチリアン・エスノ・ミニマル。凄まじいミュージシャンシップの高さ。美しい。

▼tecladeoro - Carnavalito
Carnavalito (adelanto "violentamente lento" E.P. 2011) by tecladeoro
拡散を続けるポスト・ダブステップシーンだけど、チリでも狂い咲いてます。チリアン・トライバル・ステップ。

El Sueño de la Casa Propia『historial de caídas』
チリのラップトップ・ミュージシャンのフリーダウンロードアルバム。El Sueño de la Casa PropiaことJose Manuel Cerdaは音楽を始める前はチリの郵便局に勤めてて、しかも一時期ハスラーをしていたと。

LATINOAMERICA HARDCORE Quick selectionツイッターのフレンドwさんが作られた南米産ハードコア・コンピ。ハードコアは疎いけど、この熱はすごい。wさんちょっと前にもチリのハードコアが熱いって言ってたな~。

2011年11月20日日曜日

Johanna Billing

スウェーデンの映像作家ヨハンナ・ビリングが、サイケデリック・ロックの嚆矢といわれるThe 13th Floor Elevators のフロントマンだったロッキー・エリクソン(Roky Erickson)の知られざる名曲"You don't love me yet"を多くのミュージシャンを集めてカバーしている曲がある。10年近く前の曲なんだけど、今年出たCMTのMIXCD『ZONAZONA』の終盤に使われていて、自分の中で何かがバチっと弾けた。彼女の公式サイトからダウンロードもできるので絶対に聴き倒すべきだ。
Listen / Download Johanna Billing"You don't love me yet"

とにかくもう、こういうのが本当の音楽であり、歌なんだと心の底から思う。7分40秒の音楽の旅。メロディはシンプルで深く、上へ上へと駆け上がりながら重なり合っていく歌声にはまるで現代版"ウィー・アー・ザ・ワールド"のような多幸感がある(実際、今回のプロジェクトを進めていくあたって、ビリングの頭の中には80年代の「バンド・エイド」のイメージがあったようなのだが、その目的は"世界を1つに"なんていう明確なメッセージを伝えることではなかったと彼女自身は語っている)。もちろん原曲もサイコアコースティックな佳曲だと思うんだけど、このビリングの曲はそういうオリジナルの次元を遥かに超えた感動を与えてくれる。



70年代のフォーク/シンガーソングライターのムーヴメント以降、日本人は「ミュージシャン=自分で作詞・作曲する人」のような固定観念に毒され過ぎている気がする(だから有名人が小銭稼ぎに音楽をやる時、未だに中途半端に作詞とかするんだよね...あれ最悪)。そもそもシンガー=ソングライターという言葉には「歌を歌う人は何らかの主義主張を持っていなけれればならない」というアンチ産業システム/アンチ商業主義的な要素が強かったわけだけども、たとえ「歌を歌う人」と「歌を作る人」が別であっても素晴らしい音楽には何の影響も与えない。「作者はだれか?」なんていうのは、ヒップホップ革命=サンプリング革命を通過した今どうだっていい事(著作権等の権利は別問題)だし、むしろ、模倣がオリジナルよりも優れてしまう事態も起こり得るという事は90年代以降の常識だろう。ビリングは、この曲をリリースした2003年から2010年にかけて、世界の22都市を回りながら各地ミュージシャンに"You don't love me yet"をカバーしてもらうツアーを行っていて、それらのツアーの様子がYoutubeに一部あがってる。同じ曲でありながらそれぞれの音楽にそれぞれの風景が浮かび上がってくる。
















素晴らしい曲を愛情と想像力を持ったミュージシャンが歌えば、オリジナルを超えるような奇跡が生まれる―ビリングの"You don't love me yet"の活動は、そんな、音楽の純化運動なんだろうと思った。

60年代~70年代のフォークシンガー・ムーヴメントの背景にはベトナム戦争が密接に関わっていた。311以降の日本でも斉藤和義や七尾旅人、ECDなど数多くのミュージシャンたちは原発問題などに対して「何か伝えなければ」「何か言わなければ」という空気を敏感に感じ取っている。ただ、政治的なメッセージや警鐘を発するような直接的ものではなくても、音楽が音楽でありさえするだけでも人の心を動かすことはできるんじゃないか、ということだ。たとえば、311以降の殺伐とした日本の慌ただしい年の瀬に、家路を急ぐサラリーマンや買い物帰りの女の子を温かく照らすイルミネーションと共に、どこからともなく"You don't love me yet"が鳴り響びいてきたとしたら、ちょっとだけあたたかい気持ちになって、もしかしたらちょっと泣きそうにもなったりするかもしれない。

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MOON by Andrew Weatherall
実は、今年良く聴いたMIXの中でCMT『ZONAZONA』の他にヨハンナ・ビリングを使ってたのがアンドリュー・ウェザオールだった。アーサー・ラッセルのカバーなんだけどこれも名曲すぎる。もちろん、番長自体のMIXの内容もチルアウトなレイヴで最高です。

▼そのアーサー・ラッセルのカバーを更にルーマニア人のボゲダン・アンゲルがエディットしてる曲。これも最高。
Johanna Billing vs Arthur Russell - This is how we walk on the moon (Bogdan edit) by Bogdan
▼ちなみに、ビリングが今後加わってみたい≒カバーしてみたいと答えているミュージシャンは以下の通り。ジュディ・シル(Judee Sill)、ビフ・ローズ(Biff Rose)、ローチェス(The Roches)、ムタンチス(Os Mutantes)、ギャラクシー500( Galaxie 500)、ヨ・ラ・テンゴ(Yo La Tengo)。わくわくしてくる。
Johanna Billing - I' m Lost Without Your Rhytm (Original Soundtrack) by Apparent Extent

2011年11月13日日曜日

モン族

ディスクユニオンで偶然見つけた盤。
VIÊT-NAM Musiques et chants des Hmong

ルーマニア人の民俗音楽学者Constantin Brailouがスイスに設立したフィールド・レコーディング音源のアーカイブ機関であるAIMPが所有するベトナム少数民族=モン族のフィールド録音。その音楽は、独奏を中心とする非常にシンプルな演奏なのだが、仏教に影響を受けつつも独自の祖先崇拝/精霊信仰が生み出したもので、ジャケットにあるような草笛を始めとする奇妙な楽器を使った器楽や呪文のような声楽の音色は、他の民族音楽でも滅多に味わえない霊的なヤバさがある。

モン族はそもそも、紀元前3千年前の中国の四川省を起源とする民族で、その多くが中国の同化政策や太平天国の乱の粛清時にアジア各地に入植したと言われている。ベトナムには約300年前から住み始めたらしいが、音楽的には中国の影響がやはり大きいように聴こえた(一般的にベトナムは東南アジアの一部とみなされているが、文化としては東アジア圏)。

そして、モン族は今もベトナム以外の国にも多く住んでいるのだが、実は、ここにモン族の歴史が隠されている。

世界民族博覧会<モン族>
 中国  :738万3千622人 (1990年:中国少数民族事典)
 ベトナム:約55万8千053人(1989年:推定)
 ラオス :約31万5千465人(1995年:推定)
 フランス:約 1万2千人 (1987年:推定)
 ビルマ :約 1万人   (1987年:推定)
 カナダ :約 1千人弱 (推定)
 アメリカ: 20万人以上 (推定)

なぜ北米アメリカに20万人も住んでいるのか?
そこには、ベトナム戦争とアメリカ合衆国CIAの秘密工作に翻弄されたラオス山岳に住むモン族の悲劇があった。

(以下、引用)「ベトナム戦争中、当時の北ベトナムが、南ベトナムで戦う解放民族戦線に物資を輸送したルートが所謂ホー・チ・ミン・ルートである。米国はラオス国内を走るそのホー・チ・ミン・ルートをたたくため、山岳地帯を機敏に動くラオスに住むモン族の機動力に目をつけ、高い報酬でモン族を雇った。1961年、ラオス北部に米軍基地がつくられ密かにモン特殊部隊が組織された。そしてモン特殊部隊はアメリカ軍の先兵として北ベトナム軍やラオス愛国戦線(パテト・ラオ)と戦うことになった。しかも敵方の北ベトナム軍やラオス愛国戦線の中にもモン族が居たため、同族同士が殺し合う悲劇ともなった。アメリカ側の戦況が悪化してアメリカ軍の撤退が始まると、アメリカ軍はモン特殊部隊を見捨てた。その結果北ベトナム軍の報復攻撃も含め合計20万人ものモン族が戦死したと言う。アメリカ軍のベトナム戦争による戦死者はモン族の1/4の5万8千人である。もしモン特殊部隊が居なかったらアメリカ軍の犠牲は相当数増えた筈である。なおベトナム戦争におけるベトナム人の死者は200万人を超えたと書かれている。しかも米軍はラオスのホー・チ・ミン・ルート沿いに250~300万トンの爆弾を投下し、その内の20万トンが不発弾となり現在も住民の生活を脅かしている。この不発弾が完全に撤去されるには数百年かかると言う。戦争が終わってからもモン族の悲劇は続いた。北ベトナム軍やラオス愛国戦線と戦ったモン族は帰る地がなくなり、タイに難民キャンプが作られ30万人ほどのモン族が一時そこで暮らした。現在ではこの難民キャンプは閉鎖されたが、一部のモン族(10数万人)がアメリカに渡ったと言う。アメリカに渡ったモン族がアメリカ社会で幸せに暮らしているかどうか記述はないが、彼らが長く続けてきた伝統文化を守って生活しているとは思えない。このような記述は別の面からの反論もあろうが、強大な国のエゴが少数民族を犠牲にした一つの例とみなせると思う。映画『地獄の黙示録』は実話でなく創作ではあるが、アメリカがアジアを見る一つの歪められた視点を垣間見るようだ。」(「モン族の悲劇」)

アメリカ合衆国の反共産主義戦争に利用された挙句に置き去りにされ、祖国ラオスからは裏切り者と迫害され、捨てられた恨みを持つ国に亡命して行ったモン族の人々の哀しみは計り知れるものではない。移住した合衆国でも悲しい差別が続いている(「米中北部のウィスコンシン州の森の中で、鹿狩りに来ていたラオスの山岳少数民族モン族の出身の男性が、口論の末、白人ハンターの男女6人を殺害」日刊ベリタ)。映画『グラントリノ』のモン族の人々を思い出してほしい。クリント・イーストウッドがベトナム戦争後のモン族と合衆国の歴史に意識的だったのは間違いない。2004年にはイラク戦争でモン族の米軍兵士の最初の死者が出た。米軍に加われば市民権を得やすくなるという理由で、多くのモン族の青年がイラク戦争に参加したのだという。それはまるで、ベトナム戦争に多くの黒人青年が駆り立てられた合衆国の歴史の焼き直しにすら思える。

「30年目の戦後処理:アメリカと共に戦った民族」/THE MOST SECRET PLACE ON EARTH - CIA'S COVERT WAR IN LAOS

このドキュメンタリーでは、ベトナム戦争でモン族を置き去りにした実働部隊の少佐のトラウマをモン族の祈祷師が取り除くことになるのだが、4時間以上も続いたという祈祷師の祈りの歌が素晴らしい。そこから安直な癒しを得る少佐の言葉には怒りすら覚えるが、あまりにも哀しく優しい赦しの歌声には心が洗われるようだ。

モン族のその神秘的な歌声に民族の悲劇性を感じてしまうのは悪しき感情移入だと思う。でも、正史といわれる欧米中心の歴史の裏側にある民族の声に耳を傾け、辺境といわれる音楽の偽史をこれからも聴き続けたいと心底思った。

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米国のモン族の若者が直面する暗い歴史

hmong veterans of the cia's secret warラオス山中には、今も当局から逃亡を続けているモン族がいる...。

▼北米に住むモン族のラップ。新しいカルチャーも生まれてる。
TSIS MLOOG ZOO by JiNN Thao

町山智浩による『グラン・トリノ』ポイント解説(『映画秘宝』2009年6月)完璧な論旨。必読。

▼MA GUO GUO plays the Chinese Jew's Harp Kou Xian
Jew's Harpとは口琴(こうきん)と呼ばれる楽器で、モン族のフィールド・レコーディングでも使われてたんだけど、この中国人の演奏もかなり狂ってる。

ツイッターで白石隆之さんがツイートされてたアイヌの民族楽器ムックリの演奏に最近衝撃を受けたんだけど、両者の音が実はかなり繋がってる。

アイヌの歴史は日本との関係性において語られることが多いけど、実際は、モンゴル帝国~清朝は、アムール川下流域で朝貢交易を行い、アイヌなどサハリンの先住民とも接触を持っていたらしい。なるほど。

All sound recordings below were made in Saigon before 4/30/1975 Ciao! Bella
ベトナム戦争中の南ベトナムの70年代カルチャーを伝えるポップス・ポッドキャスト。すべてサイゴン(現ホーチミン)で録音されたものらしく、500曲以上の膨大な記録(すべてダウンロード可能)。中国の影響だけでなく、ベトナム戦争期にもたらされたアメリカン・ポップカルチャーの影響が入り混じってる。

フランソワ・ジューファのベトナム・フィールド録音も聴いてみたいな~。